私が傳田さんとご一緒に仕事をさせて頂くようになったのは、1980年に新宿の京王プラザHで開かれた第1回ISHM国際シンポジウム(傳田さんがGeneral Chair)であった。その時、私はまだ駆け出しで、雑用をお手伝いしたに過ぎなかったが、傳田さんは”乾坤一擲”という決意で取り組まれ、見事な国際学会となった。考えて見ればこれが今のICEPのルーツといってもよいのではないかと思う。
その後、米国のISHM(International Symposium for Hybrid Microelectronics)にも毎年のように参加されておられたが、米国側が日本でのハイブリッド・マイクロエレクトロニクスの躍進ぶりを見て、1986年に米国側から「日本からの論文の技術的水準は優れているが、何分、英語での発表、特にQ&Aでのつまづきが我慢できない。米国側で通訳を用意するから、日本語で発表もQ&Aもすればよい”Japanese Translated Session”を創立させてくれ、これをISHMの目玉としたいといわれ、1987年(Minneapolis)に第1回(傳田さんがChair)がスタートした。これが日本人の意に反して好評で、第2回のISHM’88(Seattle)では私もSpeakerとして参加した。終わってから傳田さんから、「私がこの2回のChairを務めたが、次回以降はお前がM. A. Steinと組んでCo-Chairをやれ」と命ぜられた。そして第3回のBaltimoreから担当することとなったが、まさかIMAPS2007の第21回まで、途中、岡本 明氏や嶋田勇三氏に交代していただきながら14年も担当することになるとは夢にも思わなかった。毎年5名ずつの日本人発表者を選び米国側に通知するだけで、拒否されることもなく進めることができ、やがて米国側からテーマのジャンルのリクエストが年初に送られてくるようになった。ISHMのレセプションでは日本チームの手締め(例の3-3-7拍子)が恒例となってしまった位である。
その中で最も強い印象に残っているのは2001年10月にN.Y.に近いBaltimoreで開かれたIMAPS2001(第15回)で、その1ヵ月前に「N.Y.の高層ビルに2機の旅客機が突っ込み炎上するという、いわゆる”N.Y.9.11テロ”」が起きたばかりで、日本から発表予定の5人がそれぞれの会社から”出張禁止”となってしまい、渡米できず、米国側からは”穴をあけるな”といわれ、急遽私が5人分を代読する、という奇策で済ませた、
という思い出もある(下図・ICEP2024富山のPPTより)。
さて、JIEP(エレクトロニクス実装学会)は”Chipletブーム”の関連もあり、学会の技術的水準も、参加者の数も上昇し、特にICEP2024(富山)の大盛況は記憶に新しいが、これはひとえに2010年頃から、いち早く「シリコン導通電極TSV」や「3D、2.5Dなど高次元実装」の必要性をセミナーや多くの著書を通じて力説してきた傳田さんの貢献が大きいと思う。ICEP2024で述べたように、「傳田さんは真に”Chipletのフロントランナー”だった」。
傳田さん、40年余りにわたり、いろいろ教えていただき、本当にありがとうございました。
宮代文夫
1937年: 秋田県生まれ
1962年: 東北大学工学部通信工学科卒業
1962年 : (株)東芝入社、R&Dセンターでマイクロ波電子管、SAWデバイス、機能回路開発等に従事、総合企画部、
東芝ケミカル(株)を経て2001年退職
退職後: PI技術研究所、シンガポールIME勤務を経て、よこはま高度実装技術コンソーシアム(YJC)、
東北大学技術萩友会理事、
長野実装フォーラム理事、JIEP名誉会員、IMAPS Fellow
趣味:*高山植物撮影、
*横浜DeNA応援60年、
*J. S. Bach 鑑賞