【1】傳田精一先生との関りと想い出
以下に、傳田精一先生との関りを古い順に簡単に箇条書きにて記します。
*英語を褒めて頂いた:
私は、英語があまり得意でなく自信のない方であったが、どういう訳か英語の非常に得意で見識の高い傳田先生からは、『福岡君はとても発音とイントネーションが良い。』と、褒められた。自分は貧弱なボキャブラリーの中で喋るのはそれなりにできた様に思うが、ヒヤリング能力がプアーで、癖のある英語の発音の人との会話や、会話の話題が自分に興味が有る場合は良かったがそうでない時は、会話に支障をきたすことがよくあった。
*国際学会ISHMアメリカ(現にIMAPS)の後の会社ツアーへ同行させて頂いた:
実装関連のメーカや装置メーカの訪問に同行させて頂き、優しく指導をして頂いた。
*著書を完読して頂き、好評して頂いた:
2000年1月に『はじめてのエレクトロニクス実装技術』を(株)工業調査会から依頼され執筆発刊した。その後お会いした時、傳田先生から『とても良く書けている。立派な著書だ。しかし初心者には少し難しいのでは?』と褒めて頂いた。 また傳田先生からは、多くの先生の著書の中で2009年7月に『三次元実装のためのTSV技術』同じく(株)工業調査会(その数年後に倒産)発刊を謹呈して頂いた。当時私は、TSV付きSiインターポーザの開発に取り組んでいたので、とても勉強になりました。
*長野実装フォーラムの理事に成るよう依頼された:
長野実装フォーラム発足当初は講演を依頼され、何度か発表させて頂いた。傳田先生から『福岡君、忙しいだろうが理事に成って活躍して欲しい。』と言われ、それ以降長野実装フォーラム開催の都度、先生と対面させて頂き様々な観点から指導して頂いた。とても残念だったが、ある頃から先生のお体が弱くなられ、長野までも旅するのが困難となられ、お会いできなくなってしまった。その後は年賀状のやり取りだけになってしまいました。
*長野県工科短期大学校の客員教授の後継者として選んで頂いた:
2007年思いもよらないお話が傳田先生からあった。『福岡君、私も歳を取り長野県工科短期大学校で講義をするのも何時までもできないし大変なので、是非私の後を引き継いでくれないか?』とお願いされた。私なんかで宜しいのでしょうか?とお伺いしたが、とても適任だと言われ、長野県工科短期大学校の客員教授の拝命を受けた。以降同大学校にて専門必須科目であるエレクトロニクス実装技術の講義を毎年実施させて頂いた。
*音楽とカラオケの思い出:
傳田先生は、音楽がとてもお好きで、長野実装フォーラムでも大賀ホールを会場とし、講演のあい間に生の音楽
鑑賞をする時間を設けるなどの企画もされた。またカラオケもお好きでとてもお上手である。2~3度御一緒させて頂いた中で、私が山口百恵(さだまさし作曲)の『秋桜』を歌った時、とても褒められた。『よくその難しい曲を、上手く歌うね!!』と。
傳田先生との関りということで、書き下してきたが、何故か自分が先生から褒められたことばかりになってしまった。偉大な先生から褒めて頂いたことが、余程うれしいかったのであろうか?
【2】傳田精一先生の功績ならびに感謝の念
傳田先生の功績や実績は様々なところに記載されており、多くの方々の周知の事実であり記すまでもありません。
私がそれ以外で先生への尊敬の念が堪えないことは、現役を退かれた後も日本、いや世界の実装技術の進展と後衛の育成に関わられた事である。その一つが今も続く長野実装フォーラムを設立され、最新実装技術の世の中への周知と日本の実装技術の発展に若い実装技術者を叱咤激励されたたこと。またお歳を召されても、国際学会(ICEP)で自ら長年にわたり毎年論文発表をされ、若い実装技術者との技術討論に身を捧げられていた。とても常人に真似できない事であり、その実装技術と半導体技術に対するエネルギーと情熱は、尊敬の念に堪えません。
【3】最後に今の自分を振り返って
私は、東芝入社から定年扱い退職後、実装技術コンサルタント会社ウェイスティーを設立し、新型コロナウィルスが世界に拡散し脅威をもたらすまでは、各種学会の各種委員として、実装技術に関する発表や活動を続けてきた。しかし新型コロナの蔓延により、若い頃風邪をひくとよく咳が長期化し、医者で胸のX線写真を診て貰うと肺炎を引き起こし真っ白になっており、点滴を受けることが何度かあった。その為、もし新型コロナウィルスに感染すると命取りになりかねないと思い、人との接触をなるべく避けほぼ家に引きこもり状態となった。
学会活動にもほとんど参加しなくなり、その代わりに精を出したのは、趣味であるピアノ演奏である。18倍の難関を突破し目指す高校に入学出来きたので、独学で始めた。大学は第一希望ではなかったが、何とか国立大学に入学できた。考えてみると幼稚園から大学まで全て国立だったので、親父に安上りで済んだろうから下宿にピアノを買って欲しいとせがみ、下宿にピアノを置いた。東芝入社後の独身寮には、寮長の娘が昔弾いていたピアノが歓談室に置いてあった。配属が決まり大型コンピュータの部品(MCM)の開発担当となった。東芝青梅工場の独身寮生活が始まり、少し経過した頃、家族アパートに住んでいた上司が自分の子供の為にピアノを買ったが狭いので、ヤマハの倉庫に預けたままなので、私の寮の部屋に置かせてくれとの事で、東芝の独身寮生活にも関わらず、またまた自分の傍にピアノがあることになった。ただ大学時代は遊びが忙しく、東芝時代は仕事が忙しく、ほとんど真面には練習はできなかった。ウェイスティーの仕事がなんとか軌道に乗り還暦になり少し余裕ができ、60歳の手習いということで、ピアノを習い始めた。
自分の腕を磨く為と人前で演奏する度胸を付ける為、65歳頃より失敗しても構わない友人に声を掛け、年に2度数名の友人の前で1時間のプチピアノコンサートを開催している。7月に演奏した今年のプログラムは4部構成で、安らぎと愛と人生と死をテーマとした。その第3部で、ベートーベェンの葬送行進曲(ピアノソナタ第12番の第3楽章:エリザベス女王の葬儀の時、衛兵たちが女王の棺を担ぎ、ウェストミンスター寺院からバッキンガム宮殿までゆっくりと行進する時のバックミュージックに使用された。)とショパンの葬送行進曲(ピアノソナタ第2番の第3楽章:中間部では天国での生活を思い浮かべる様な、とても美しい安らかなメロディーから構成されている。)を演奏した。
このプチ・ピアノコンサートでは、昨年、偉大なる傳田精一先生が御逝去され、先生の御冥福をお祈りする為に選曲し、先生を想い出しつつ頑張って演奏した。傳田精一先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。
傳田先生の実装技術に対するエネルギーと情熱を長い間間近に見てサラリーマン生活を送ってきて、かつ先生からいろいろ指導して頂いたにも関わらず、今では実装技術からは遠のいてしまい世の中への貢献もほとんどなくなり、趣味のピアノ三昧の生活に明け暮れている。
天国に居られる先生に合わす顔も無い状況で反省してもしきれない。先生のように趣味と仕事と人生が一体となっていると良かったのだが………。
福岡 義孝(ふくおか よしたか)
1975年 名古屋工業大学・大学院修士課程・電気工学専攻修了。
同年、東京芝浦電気株式会社(現株式会社東芝)入社。
電子計算機事業部、総合研究所、回路部品事業部・技術部長技師長代行を経て、
2000年 ㈱東芝と大日本印刷㈱との合弁会社DTCTに出向、主席技術員・本部長待遇。
2002年 ㈱東芝を定年扱いにて退職し、有限会社ウェイスティ-設立。
1991年 『半導体素子のマルチチップ実装に関する研究』にて工学博士。
2004年 IMAPS Fellow。
2007年 長野県工科短期大学校・客員教授。
2009年 IEEE Fellow。
2021年 エレクトロニクス実装学会(JIEP)・名誉会員。
MES 1993、IMC 1996、電気学会2003C部門、ICEP 2007各優秀論文賞。
1997年、回路実装学会技術賞。
2010年、JIEP技術賞。
2013年、JIEP技術功労賞。
2018年、IEEE EPS Reginal Contribution Award-Region.10-受賞。
著書『はじめてのエレトロニクス実装技術』;工業調査会
監修著書『部品内蔵配線板技術の最新動向』;シーエムシー出版